GIGO史

今日は先日の続き24ページ目『ブランド創立』からです。

そんなこんなんで、現時点での次の目標を見つけれた自分は何をしたか。
静岡(浜松)の大学に通っていたので、目標となる人の岐阜まで通う訳にもいかづ
ひとまず近場で彫金の勉強を始める事にした。。

まずは、街で一番大きなシルバーショップに行き、
店員さんと仲良くなる→目標を話す→彫金教室みたいな場所を教えてもらう
→すぐに行ってみる!(宝飾の職人が趣味で解放している彫金スペースで自分の作りたいアイテムをBOSSに伝えると、材料と道具とスペースを貸してくれて、道具の使い方から作り方まで教えてくれてくれる。勿論趣味で解放してくれているので、日々献上品(お酒やタバコ)は欠かせない!そしてアイテムが完成したら、それにかかった材料費のみが請求されるしくみなのだ。)
→バイトと遊びが無い時はつねに通う→そんな生活を3年もしていると
作品もいくつか溜まってきて、
自分の『ブランド』が現実味を帯てきた!!!
(勿論当時の自分は『ブランド』が何かも全く分かっていない範囲での現実味だが。。)

その当時は『トラビスワーカー』っと言うインポートブランドが大好きで

こんなヘタヘタなコピー紛いなアイテムを作っては同級生に「すげぇ〜!!」っと
言われて有頂天になっていた自分。。

だが『バカも煽てれば木に登る』じゃ無いが、、その当時は友達の「すげぇ〜!!」の一言があったからこそ、出来た事もある。。

それは自分の作品を見せに、浜松中の(当時は4軒位だったと思う)シルバー屋さんに行き、なんと売り込みまでしていたのだから。。
今考えるとプロの職人に対してどんだけ場違いで失礼な事をしていたか…。

けど、そんな何も知らない自分をちゃんと受け入れてくれたお店もあった。
それが今もあるシルバーショップ『NAIADE-ナイアード-』である。
作品のクオリティーやデザインのオリジナリティー等、足下にも及ばない
自分の作品を「勢いがあって良い」っと言ってくれて
僕の作品を置いてくれると言ってくれたのだ!!

公(お店)の場に自分の作品が並ぶ=目標にしていた『ブランド創立』。
1999年10月僕の作品達は晴れて値札が付いた『商品』となった!!
そしてシルバーブランド『GIGOR』のうまれた瞬間でもある。

オーナーの鈴木さん、ありがとう…..。。

次は27ページ『現実』へつづく。