GIGO史-9-

今日は36ページ目『退職その3』からです。

自分の目標は?

このままM,sコレクションの彫金師として、会社の為、自分の技術の向上の為、
ここで社会人として安定した生活をおくって、それなりの年齢になったら
不自由ない立場と家庭を築いていき、その頃には彫金師としてもマスタークラスにも
なって、会社の為に下の子を育てていき、会社の底上げをしていく生活?

んんにやぁ!!

『自分の生きた足跡を残す事!』

それが自分の目標!

ぞんざいに踏み台にするつもりは一切無いが、このままでいるつもりもありません!

そして、むかえた2002年4月。
入社の時から目標に、そして決めていた出来事がついに起きた!!
自分の人生を決める時がっ!!

それはバカみたいにシンプル!
『25歳までにGIGORの収入が一回でもM,sのお給料を超えたらココを辞めてGIGORに賭けてみる!』
です。

人生一度きりっ!後戻りも無い以上、後悔はしたくない!
しかし勝負をするだけの裁量が無いのなら、それはそれ!
その裁量を計るのに自分に課したのが25歳までの自分の足跡とも言える
GIGORの収入である。
言わば自分なりの合格点/キッカケが25歳までに出来れば勝負にでるべしっ!
だった。

たまたま、その月に原宿と上野の取扱い店でブレスレットが売れ
それに加えペアーリング等
しめて20万円が売れたのである!
(確かその前の月は4万円あるか無いか位だったな^^;)

とにかく!
偶然でも奇跡でも、
自分の決めていた事が、
オカンとの約束でもある25歳の誕生日月の4月に起きた事は
自分にとっては揺るぎない思し召しであり、確信でもあった!

すぐに上司であるサダさん、そして
雲の上の存在でもある小野さんに
自分の決めていた経緯と辞める意志を伝えた。
そして
「25歳までに形にするから東京に行かして欲しい!」と頭を下げたオカンにも。

時間に厳しく、プロとしての効率化を叩き込んでくれたサダさん。

材料や道具を自腹で負担する事で道具の大切さ、商品の重みを叩き込んでくれ、
同時に社会の道理と厳しさを指導してくれた小野さん。

また接客の真意を日々追求していた販売のスタッフの方々。

一年間という、短い間でしたが、本当にありがとうごさいました!

皆様から指導してもらった事を、ちゃんと芯に持ち、勝負に出てみます!!

こんな感じで、翌月末には退社をし、
2002年6月1日からは完全に新しい一歩を踏み出した。

 

 

がっ、、

4月に売れた20万円は、本当に偶然。。
独立したから!っと、収入が安定する訳では無い。。

まずはっ!!?

オトンの言っていた確言を思い出す。
『今、一番自分にすべき事は何かを、見極めれる人間になれ!』

今の自分に一番すべき事は!?
「やっぱり、仲間がいないと楽しくないよね!」
「ふらふらしてる1コ上の友達を誘ってみよう!」
 ↓
「次にすべき事は?」
「勝負に出た以上、ブランドに専念出来るだけのお金が必要!」
 ↓
「貯金はあったっけ?」
「1円もあるハゲ無い。。」
 ↓
「日雇いのバイトをするか?」
「だったら今までと同じ。。」
 ↓
「作品作りをする時間が優先されるから、速攻性のあるバイト探しやなっ!」
 ↓
「まだ若いんやし、体を売るか?」
「誰もいらね〜よ!」
 ↓
「ならどうするよ?」
「よしっ、自分の血を売ってお金に変えよう!」

次回に続く。。

次は39ページ『独立後の現実』へつづく。

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